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プロフィール

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内藤由起子

(ないとうゆきこ)

囲碁観戦記者・囲碁ライター


観戦記、取材記事、単行本執筆のほか

囲碁番組出演、囲碁教室講師など幅広く活躍


日本囲碁ライター協会役員

​東日本大学OBOG囲碁会役員

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これまでのあゆみ

<幼少期>

神奈川県平塚市1966年9月19日、A型、乙女座で丙午生まれ

 

​●3歳

幼稚園入園のころ、囲碁のルールを父より教えられる。ただし、このときは石をたくさん取った方が勝ちの「石取りゲーム」だった。ある日、父と碁を打っていると「地を取るのもいいんだよ」といいながらヒラキを打たれた。その日から「囲碁」を打つようになった。

 

【平塚市立花水小学校 入学】

●1年生

市内の碁会所でだれにでも九子を置いて打つようになる。ある対局中に対戦相手のおじさまに盤上を指さされ、「ここに打つといいよ」というアドバイスかと思ってそこに打つと、その一帯が死んでしまい、盤上すべて討ち死にという悲劇が起こる。ひとつしかないトイレに籠城して泣いた。その節はご迷惑をおかけしました。

●​3年生

6月。神奈川県立平塚江南高校(父の勤務先)の文化祭に行く。囲碁部の催しで、同校の卒業生でプロ棋士の小林禮子七段の多面打ち指導碁に参加。初めてプロに打っていただく。そのとき教わった定石は、いまだに忘れていない。

●​4年生

平塚市桃浜町の木谷道場(小林禮子七段の実家。御尊父は昭和の大棋士・木谷實九段)に連れて行かれる。最後の内弟子、園田泰隆九段に打っていただく。「初段になったらおいで」と言われ、ここで初めて父が入門を打診していたのではないかと推測した。

●​5年生

茅ヶ崎の「中村道場」に通い出す。定期券を使って東海道線に乗って、ほぼ毎日。地方棋士の中村元彦先生に、囲碁の基礎を教えていただいた。通い始めて数ヶ月で初段になった。

●6年生

​児童会の副会長、子供会の会長となる。

<青年期>

【平塚市立浜岳中学校 入学】

●1年生

バスケットボール部に入部。

女流アマ全国大会初出場。以後、20年近くほぼ毎年出場する。

●2年生

第1回少年少女囲碁大会・神奈川県大会に出場。7位。

バスケットボール部部長となる。

●3年生

生徒会副会長になる。

夏休みころから、長期休みの土曜日に、「土曜木谷会」に通い始める。

【神奈川県立平塚江南高校 入学】

●1年生

入学して間もなく。月刊「囲碁クラブ」(日本棋院発行)の連載「青春指導碁」で、趙治勲名誉名人に五子で指導碁を打っていただく。

​囲碁部に入り、友人に碁を教えて入部してもらう活動を続ける。

●3年生

神奈川県代表で団体戦主将として全国高校選手権に出場。8位。個人戦は3年連続神奈川県2位で高校選手権全国大会出場ならず。

【お茶の水女子大学 入学】

囲碁部とバスケットボール部に入る。バスケットボール部は1年の夏休みまで続けた。囲碁部と試合が重なり、囲碁部のほうに出ているうちに、バスケ部は幽霊部員になる。
囲碁部は楽しく、囲碁はおもしろいとやっとわかった。
石寿会(杉内寿子八段の会/高級囲碁サロン)でアルバイトをする。
関東大会団体戦春期・秋期 二連覇(副将で出場)。
全日本女子学生選手権4位、関東大会(女子個人の部)4年連続4位。

【日本IBM 入社】

営業職。接待などに囲碁が役立つ。4年で退社。

【お茶の水女子大学 大学院修士課程 入学】

朝日新聞主催アマチュア囲碁十傑戦で、記録係のアルバイトをする。

【日本食糧新聞社 入社】

新製品担当記者。

朝日新聞囲碁担当記者に観戦記執筆を勧められる。

【日本食糧新聞社 退社】

朝日新聞紙上で第22期より「囲碁名人戦」観戦記を担当。

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